
本日はNetflixドラマ『暴君のシェフ』について、最終回を見終えての考察をまとめたいと思います。物語全体を振り返りながら、歴史的背景やドラマの構造を踏まえて語ります。
主人公“暴君”のモデルは燕山君(ヨンサングン)
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主人公イ・ホンは、史実の朝鮮王朝第10代国王・燕山君をモデルにしています。
燕山君は即位当初、腐敗を正そうとし、密使を全国に派遣して有能な人材を登用するなど、理想的な政策を行いました。ところが、やがて専制が強まり、史上最悪の暴君と呼ばれるようになります。ドラマのイ・ホンも、この二面性を見事に体現していました。
つまり「絶対的な権力を握りながらも孤独で不安定な王」という造形は、歴史を下敷きにしながら、フィクションとしての深みを持たせたものだったのです。
最終回の雑さとナレーションの謎
最終回は、序盤の緊張感に比べるとやや駆け足で、特に“現代への回帰”の描写が雑だと感じました。
ナレーションで「王は現代に渡ることができた」と示されましたが、その理由が明確に描かれず、観る側に解釈を委ねていました。
ここで浮かび上がるのが 『望雲録(マンウンロク)』 の存在です。
『望雲録』とタイムリープの鍵
劇中では「望雲録」という書物がたびたび登場しました。
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紙切れ一枚でも時空を超える力を持つのか?
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それとも“本体”が必要なのか?
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ジヨンが現代から過去に戻った際、望雲録はどう扱われたのか?
このあたりは最後まで回収されず、謎のまま終わっています。考察すると、望雲録は 「二つの時代を繋ぐ装置」 であり、書物そのものよりも「読む人の強い願い」に反応して時空を開くのではないかと思います。
ユナ(ヨン・ジヨン)が“ぬかし”に戻ったときの矛盾
もう一つの疑問は、ジヨンが過去へ戻った際に望雲録がどうなったのかです。
彼女の行動を支える小道具として望雲録は象徴的ですが、物語的には「回収されないからこそ、視聴者が自由に解釈できる余地」を残したのだと思います。
つまり、望雲録は 完全なタイムマシンではなく、“心の羅針盤”のような存在。紙切れであろうと、本であろうと、それを持つ人の願いと向き合うための象徴だったのではないでしょうか。
まとめ
『暴君のシェフ』最終回は確かに雑さも感じましたが、望雲録やナレーションをめぐる“余白”があったからこそ、こうして私たちが歴史や哲学まで含めて考察できる作品になったのだと思います。
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